報告者姓名: 賴昭蘭
所屬単位: 倫理總會育英分會成員(107年12月15日入會)
介紹人: 國分由佳
皆さんこんにちは。私は賴昭蘭と申します。1958年に台南新營に生まれました。
高校卒業後台北の専門学校へ勉強にいきました。その後1975年貿易会社で仕事を始めました。あの時、既に台北では衣食住や、交通費なと何でも多くお金がかかったので、貯金は大変難しいかったです。1985年友人の紹介で台中へ戻り、その後は同じ貿易会社で働き続けました。その頃の私は見た目や表情も厳しい感じだったので、初対面の人はいつも私は学校の先生と間違えました。
2015年、89歳の高齢の母が帯状疱疹を発症しました、慢性神経痛が続いて、身体の状況が悪く、体力がだんだんなくなっていきました。私は毎日会社で仕事の時に、母が一人で家にいることが気がかりで、安心して仕事ができませんでした。その当時私は会社に勤めてもう20年になっていました。そして2017年母さんのために会社に退職願いを提出しました。退職の時、会社から『勤業永懷』任職服務滿20.1年なと字が書かれたの賞状や会社のマークついているの金貨をいただきました、とってもうれしかったです。
2020年母が認知症と診断されました、記憶力や判断力の低下、物忘れなどの症状が見られ、財布を盗られたなどの被害もありました、また難聴で補聴器をつけでも、大声で何回も繰り返さないと聞こえない状態でした。その時は気持ちがとても落ち込みました。現在一番辛いのは母が探し物をして、それが見つからない時・私がその容疑者になってしまうことです。その後、お医者さんや倫理会の先輩の方々に相談し、更にインターネットで調べた結果、母のこれらの症状は間違いなく認知症の症状であるということを再確認しました。現在・同じ状況が起こっても、自分の心は安定しています。
日本語の勉強に関しては、小学校から時代劇と日曜火曜劇場をよく見ていました。これらの作品をみることで、たくさんの単語と会話に慣れることができました。このように頭で覚えていった後で、五十音の勉強を始めました。以前塾通いもしたことがあります。でも、なかなか長続きしませんでした。理由は先生の授業方式でした。いっもたくさんの文法を教えられました。一番難しいのは宿題でした。私は小學校から書くことが大嫌いです、宿題以外書くことはあんまりしなかったです。
2017年退職後、縁があった暁明長青大学に日本語を習いに行きました。当時の教師は国分先生でした。先生の完璧な日本語発音が素晴らしく、そして先生が親切だと感じました。それと教室も良い雰囲気がありました・それに一番リラックスできる理由は宿題のストレスがないです。最初は観光日本語、その後日本語新聞討論も参加しました。もちろん放課後は自分で復習していますよ。
2018年12月に香代会長に紹介され倫理会に入会しました。これは今までと全然違う範囲で、新しい日本語を改めて習いて始めました。
この三年間先輩たちの良い経験のアドバイスと実践の軌跡文章を読みました、その中で教えられた事はたくさんありました。
《明朗は健康の父:一人の明朗な心境は、その人の肉体健康の元であり・うち沈んだ、暗い、よわよわしいの持主は、きっと体が弱い。朗らかな人の心は、世のくもりを照らす光である。明朗は・万善のもとであり、健康の朝光である。》
-->万人幸福の栞第8条
私は母の認知症介護の事で度々気分がモヤモヤしています。また・不安と悩み事もあります。その時、自分の気分を調整する、角度を変えて考える・良い気分の維持は一番大切です。今後、母の長期の介護は、私と家族みんなで一緒に頑張って続けていきます。
皆さん・ご清聴ありがとうございました。