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育英分會

報告者姓名: 陳武光
所屬単位: 倫理總會育英分會成員(107年04月15日入會)
介紹人: 陳香代
 
懷しい先生
      皆おはようございます、
私は、陳武光ともうします、
(わたし)は、これから、懐かしい(なつかしい)先生(せんせい)について、お話(おはなし)します。
スピーチ(すぴーち)始める(はじめる)(まえ)に、(わたし)はこの()借りて(かりて)、ちょっと自我(じが)紹介(しょうかい)倫理會(りんりかい)入會(にゅうかい)するモテフ(もてふ)のことについてお話し(おはなし)します 。
(わたし)大學(だいがく)卒業(そつぎょう)してから、間もなく(まもなく) 役所(やくしょ)から送られて(おくられて)きた一枚(いちまい)赤い(あかい)召集令(しょうしゅうれい)(こた)じて、海軍陸戰隊(かいぐんりくいくさたい)行きました(いきました)、あそこで、(わたし)海軍陸戰隊少尉預備軍官(かいぐんりくいくさたいしょういよびぐんかん)として一年間(いちねんかん)勤めて(つとめて)いました、そのあと、故郷(ふるさと)(かえ)えり、すぐに台灣(だいえん) 省農會(しょうのうかい)をさがし(とう)て、つい(にゅう)しました。(にゅう)してから、定年(ていねん)退職(たいしょく)まで、(よん)十年(じゅうねん)にわたり、ずっと台灣省農會(だいえんしょうのうかい)勤めて(つとめて)いました、定年(ていねん)退職(たいしょく)してからとい うもの、同じく(おなじく)學校(がっこう)先生(せんせい)から定年(ていねん)退職(たいしょく)した()(ない)森子(もりこ)一緒(いっしょ)に、なんて思い(おもい)のままにできる、しい(つね)(にち)送って(おくって)います。
つきまして、倫理會(りんりかい)入會(はいあ)することについてお話し(おはなし)をします。 一年(ひととせ)ほど前(ほどまえ)に、(さとる)明長青大學(めいおさあおだいがく)上級(じょうきゅう)日本語(にほんご)クラス(くらす)クラス(くらす)()カヨ(かよ)さん ((ちん)香代(かよ))倫理(りんり)(まな)んでいたことをきっかけに、そのとき、倫理(りんり)初めて(はじめて)聞いた(きいた)(わたし)は、ずっと(まえ)から、自分(じぶん)現代(げんだい)日本人(にほんじん)日本(にほん)社會(しゃかい)日本(にほん)家庭(かてい)日本(にほん)會社(かいしゃ)學校(がっこう)教育(きょういく)日常(にちじょう)生活(せいかつ)人間關係(にんげんかんけい)浴事(よくごと)日常(にちじょう)事柄(ことがら) どなど、日本人(にほんじん)生活(せいかつ)(みつ)(せつ)關連(せきれん)した一切(いっさい)合切(がっさい)のことにいつも(かか)(こころ)持つ(もつ) ことは興味(きょうみ)のあることですしかしながら、(とき)移り(うつり)()りにつれて、そん日本(にほん)のことなどは、(むかし)比べて(くらべて)見る(みる)と、(いま)どんな風(どんなふう)()ったのか、見て(みて) 見て(みて)も、見當が全全(ぜんぜん)つかなかった。 そういうことで、ある()、ちょうどカヨ(かよ)さん((ちん)香代(かよ))倫理會(りんりかい)入會(はいあ)することにさそわれました。
カヨ(かよ)さん((ちん)香代(かよ))倫理會(りんりかい)のことについて、このように言いました(いいました)倫理會(りんりかい)新世(しんよ)という雑誌(ざっし)(なか)には實踐(みのるふ)軌跡(きせき)という讀者(とくしゃ)(らん)があります、ここには、(おも)讀者(とくしゃ)自身(じしん)體験(からだため)したことに基づいて(もとづいて)書いた(かいた)物語(ものがたり)載せる(のせる)()()です、文章(ぶんしょう)内容(ないよう)は、ほとんど一般(いっぱん)日本人(にほんじん)生活(せいかつ)にかかわる風俗(ふうぞく)習慣(しゅうかん)人間(にんげん)關係(かんけい)家庭(かてい)倫理(りんり)親子關係(おやこかんけい)夫婦關係(ふうふかんけい)鄰人關係(となにんかんけい)會社(かいしゃ)社員(しゃいん)教育(きょういく)同寮(どうりょう)人間關係(にんげんかんけい)などです、そういうことで、このような文章(ぶんしょう)をよめばよむほど、あらゆる日本(にほん)のことに、興味(きょうみ)深く(ふかく)なり、だんだん()にとるようにわかり、しまいには必ず(かならず)日本(にほん)通になることと思います(おもいます)カヨ(かよ)((ちん)香代(かよ))さんが続いて(つづいて)さらに詳しく(くわしく)説明(せつめい)しました⋯⋯
その(うえ)倫理會(りんりかい)日本語(にほんご)指導(しどう)してくださている先生(せんせい)は、(さとる)明長青大學(めいおさあおだいがく)生徒(せいと)(たち)愛され(あいされ)尊敬(そんけい)されている、もっとも人氣(ひとき)のある國分(こくぶ)由佳(ゆか)先生(せんせい)です。
(わたし)はそれを聞くや(きくや)いなや、なにも言わず(いわず)に、とってもうれしくてさっそく入會(はいあ)しました。
 
さて、これから、スピーチ(すぴーち)入ります(はいります)
(わたし)懐かしい(なつかしい)先生(せんせい)のことについてお話し(おはなし)します。
国民學校(こくみんがっこう)五年生(ごねんせい)(とき)に、担任(たんにん)をしてくださった黃源(きみなもと)(こう)先生(せんせい)のことは、生きて(いきて)いる(あいだ)に、けっして、忘れる(わすれる)ことはできません。
國民學校(こくたみがっこう)(ころ)(わたし)は、勉強(べんきょう)スポーツ(すぽーつ)がとっても好き(すき)で、いつも(あたま)良さ(よさ)をほめられ。(つね)日學校(にちがっこう)行って(いって)一生懸命(いっしょうけんめい)勉強(べんきょう)をし、りっぱな成績(せいせき)をおさめながら、同時(どうじ)に、(うた)がうまい、野球(やきゅう)徒競爭(ときょうあらそ)などの運動(うんどう)才能(さいのう)もすばらしかった。腕白盛り(わんぱくざかり)子供(こども)(なか)のかしらの(わたし)は、いたずらばかりで、しばしば餓鬼(がき)大將(だいまさ)として、(ひと)をいじめたり、あちこち喧嘩(けんか)売る(うる)ことで、先生(せんせい)迷惑(めいわく)をかけました。そのほかにも、まだ一つ(ひとつ)(だれ)もよそうしなか
ろうことは、(わたし)(ひと)(はなし)をするときに、(とく)多く(おおく)(ひと)(まえ)で、なぜか、言葉(ことば)(はつ)したり意見(いけん)述べたり(のべたり)することは、なかなかうまくできないことが、いつも私のなやみのたねでした。
そんな(わたし)に、ある()先生(せんせい)間違い(まちがい)()にせずに、(あたま)(なか)にある考え(かんがえ)をそのまま言えば(いえば)いいのよ助言(じょげん)与えて(あたえて)くれたのです。(こう)先生(せんせい)はすべての生徒(せいと)に、一日(ついたち)一回(いっかい)は、かならず發言(はつごん)させ、人前(ひとまえ)(おもて)慣れる(なれる)ための練習(れんしゅう)()与えて(あたえて)くれました。
最初(さいしょ)はおどおどしていた生徒(せいと)もしまいに、積極的(せっきょくてき)意見(いけん)言う(いう)ようになり。わたしも、このおかげで、學校(がっこう)から決められた(きめられた)學科(まなか)のほかてある(ほん)()んたあとの印象(いんしょう)クラス(くらす)全部(ぜんぶ)生徒(せいと)(まえ)發表(はつひょう)することが出來(でく)るようになりました。(つね)回自分の(ばん)になると、いつも(むね)張って(はって)(おお)(こえ)ですらすらこと出す(だす)こともよい思い出です。
(わたし)記憶(きおく)によれば、澤山(さわやま)のよい思い出(おもいで)(なか)で、いまでもまだはっきり(ざん)こているのは、五年生第二學期(ごねんせいだいにまなき)終る(おわる)(まえ)に、あのとき、學校(がっこう)はすぐ別れて(わかれて)行く(いく)卒業生(そつぎょうせい)送る(おくる)ために行なわれた(おこなわれた)遊藝會(ゆわざかい)で、(わたし)先生(せんせい)指名(しめい)され、先生(せんせい)ご自分(ごじぶん)作られた(つくられた)(くつ)(はら)という時代劇(じだいげき)主人公(しゅじんこう)(くつ)(げん)擔當(になとう)したことです。
先生(せんせい)が与えてくださ/った舞台(ぶたい)時代劇(じだいげき)(えん)することが、とってもうれしくて、(みのる)は、一生(いっしょう)またとないチャンス(ちゃんす)ですから、それて脚本(きゃくほん)をしつかり勉強(べんきょう)しました。每日先生(つねにちせんせい)ご指導(ごしどう)にしたがって、余分(よぶん)時間(じかん)もうないほど・セリフ(せりふ)暗記(あんき)したり、舞台(ぶたい)動作(どうさ)繰り返し(くりかえし)練習(れんしゅう)したりしました。正式(せいしき)演出前(えんしゅつまえ)には、稽古(けいこ)をかさねて、工夫(くふう)工夫(くふう)を、一生懸命(いっしょうけんめい)頑張って(がんばって)いました。
いよいよ、本番(ほんばん)()がきました、(わたし)(むね)がどきどきしたり、(こころ)引き締めて(ひきしめて)いるうちに、緊張(きんちょう)しながら登場(とうじょう)しました。おかげさまで・(げき)演出(えんしゅつ)(はじめ)じめてから終る(おわる)まで、ずっと、期待(きたい)予定(よてい)のとおりすらすらと調子(ちょうし)よく、うまく行きました(いきました)最後(さいご)(まく)下りる(おりる)(まえ)に、主人公(しゅじんこう)(くつ)(げん)(かわ)()投げた(なげた)一瞬(いっしゅん)觀客(みきゃく)から起った(おこった)拍手(はくしゅ)喝采(かっさい)大きな(おおきな)(こえ)會場(かいじょう)溢れて(あふれて)いました。(げき)(おも)ったとおり大成功(だいせいこう)だったので、とってもうれかった。
國民學校(こくたみがっこう)(ころ)自分(じぶん)自身(じしん)で、この舞台(ぶたい)時代劇(じだいげき)演出(えんしゅつ)したのことから得た(えた)珍しい(めずらしい)經驗(けいけん)は、その後(そのご)、わたしの大學(だいがく)生活(せいかつ)職場(しょくば)での仕事(しごと)などに、大い(おおい)(たす)けったのは、言うまでもない(いうまでもない)ことです。正直(しょうじき)言えば(いえば)(わたし)今日(きょう)は、先生(せんせい)のおかげです。
光陰(こういん)()如し(ごとし)、あっと言う(いう)(あいだ)に、なん十年(じゅうねん)()きました、あのとき子供(こども)たちの私達(わたしたち)は、いまては、みんなおじいちゃんとおばちゃんとなり、先生(せんせい)でも九十三(きゅうじゅうさん歲)高齢(こうれい)年輩者(ねんぱいしゃ)になりました。多く(おおく)生徒(せいと)慕われた(したわれた)先生(せんせい)出会い(であい)をできるために、どきどき同窗會(どうまどかい)通して(とおして)、みんな故里(ふるさと)北埔(きたほ)集まって(あつまって)先生(せんせい)
一緒(いっしょ)になって、(さけ)(うた)(なか)で、(ひざ)突き合わせて(つきあわせて)(なつかしむ)しい思い出(おもいで)話し(はなし)語り合いました(かたりあいました)
(つね)回同窗會(かいどうまどかい)終えて(おえて)から、先生(せんせい)別れる(わかれる)ときに、わたしは、いつでも先生(せんせい)にこのように言います(いいます)先生(せんせい)・どうぞお元気(おげんき)で、いつでもいまのように、楽しい(たのしい)毎日(まいにち)を、わたしはいつでもこのように祈って(いのって)います。
わたしの話しはなしは、ここて、お終りおおわります、ありがとうございました。
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