報告者姓名: 林敏珠
所屬単位: 倫理總會育英分會成員(90年01月01日入會)
介紹人: 周南鎮
私は林敏珠と申します・25の頃に主人と知り合ひ、結婚しました・その後・次次と一男二女に恵まれましたが、末の娘の妊娠中に「前置胎盤」と御医者から云はれて、「冥々も御注意を、、、、」との事・とても心配でしたが、幸いにも順調でした。でもその後、体の調子が思はしくなり、胃腸の具合が悪くなってしまいました。 そんな時、主人は自分の事ばかりに熱して、私の事は構ってくれませんでした。御互いに揉み合い、多くの不愉快な事が続きました・あるきっかけで、柯王秀英圥生からのアドバイスを受けて、倫理会に入リ、いつの間にか25年も立ちました。入会後に凄くびっくりしたのは、沢山の夫婦達が本当に仲良く、皆んなと朗らかな所を見せつけられ、私は反省しました。一つーつ検討し、子供達にも良い母として、模範を示すのだと見返りました。そのうちに主人も私に良くなりました。先ず健康を考えて、毎朝台中公国へ行きました。主人はテニス、私は歌を歌ったり、ダンスをしたりして、すっかり元気になりましたその台中公園につきまして、話して見ましよう。
台中のシンボルと云えば、まず台中公園です。と云うのは、池の中心にある湖心亭は、二つの三角形屋根から出来ていて、この写真を見たら誰でもが、「あっ、ここは台中だ」と分かるのです。それで絵葉書や、色々の本表紙を飾るのは、台中公園なんです。その台中公園が出来たのは、今から100年以上も越えています。100週年の年には「台中公園100週年行事」に、色々な催しを行い、この佳節に合わせて日本人向けに、「台中ガイドブック」が発刊されました。公園敷地として、大墩丘陵の砲台山と、周辺の旧墓地(2万6千坪余り)の広さで、砲台山は海抜が98.4mの丘になっています・当時、丘の周辺は池や沼が多く、一面の湿地帯で至るところに、刺竹の藪があり、丘にはあぜ道伝いに湿地を避けながら、ようやくたどり着いた様です・
明治41年(1908)「縦貫鉄道全通式」の式場に選ばれ、大大的に改修が行なわれ、四千百六十坪の池は、自然の池沼を利用し、人工的に造成したものであると記述してありました。現在の池亭は、41年に建築され、当時台湾八景の一つと稱され、台中市の競技場がまだなかった時代、池の辺リにグランドが造られ、市民運動場として使われました・台中公園は、台中市の象徴として、今も市民に親しまれて居ります。
皆さん!台中神社がある事を知っていますか?台中に住んで居る人で、台中公園を知らない人は皆無ですが、公園内に神社があるか、どうかと尋ねると、ほとんどの人は知らない様です・公園路の入り口から入って、すぐ右手の方向に歩いて、正面の図書館の建物が見えたら、そこが神社跡なのです。昔は参道だった所を歩くと、右上 写真の所に行き着きます。テニスコートを右側に見たら、立て看板に台中神社の、写真つきの説明文がありますので、興味のある人は訪れて見て下さい。
以上、御静聴ありがとうございました。