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育英分會

報告者姓名: 楊順全
所屬単位: 倫理總會育英分會成員(104年06月15日入會)
介紹人: 林春牧
 
主題:各人(かくじん)運命(うんめい)各人(かくじん)手中(しゅちゅう)にあり
皆さん(みなさん)お早う(おはよう)ございます。(よう)(じゅん)(ぜん)ともうします。7()(にん)家族(かぞく)ですが、夫婦(ふうふ)二人(ふたり)暮らし(ぐらし)です。独身(どくしん)長男(ちょうなん)500M(500M)離れた(はなれた)とこに()んでいて、たまに(いえ)帰って(かえって)泊まる(とまる)ことがあります。やはり独身(どくしん)次男(じなん)4KM(4KM)離れた(はなれた)とこに住んで(すんで)いて、滅多(めった)(いえ)泊まる(とまる)ことはありませんが、毎晩(まいばん)のように、必ず(かならず)(いえ)(かお)見せ(みせ)帰って(かえって)きます。三男(さんなん)末っ子(すえっこ)結婚(けっこん)して子供(こども)一人(ひとり)南投(なんとう)(けん)草屯(くさたむろ)住ん(すん)でいます。公務員(こうむいん)ですので、勤め先(つとめさき)宿舎(しゅくしゃ)住んで(すんで)いますが休日(きゅうじつ)には実家(じっか)帰って(かえって)きます。
5()(ねん)ほど前(ほどまえ)に、(おとうと)北区(きたく)から太平(たいへい)()(はやし)(はる)(まき)さんの(となり)引っ越して(ひっこして)から、(わたし)時々(ときどき)(おとうと)訪ねて(たずねて)います。そこで(はやし)さんと知り合い(しりあい)になったのです。(はやし)さんは(わたし)日本語(にほんご)興味(きょうみ)があることを知って(しって)育英(いくえい)分会(ぶんかい)紹介(しょうかい)してくれました。2015年の初参観(はつさんかん)()入会(にゅうかい)しました。
では、ここで一つ心が震える(ふるえる)ほどの最近(さいきん)出来事(できごと)を、報告(ほうこく)させて頂きたい(いただきたい)思います(おもいます)
あきらめていたことを再スタート(さいすたーと)することができました。
かつて(わたし)日本語(にほんご)先生(せんせい)でもあった()満堂(みつるどう)さんを探しま(さがしま)したが、どうしても分からないので諦めて(あきらめて)いたのです。
(わたし)高等(こうとう)工業(こうぎょう)機械科(きかいか)卒業(そつぎょう)して、兵役(へいえき)就く(つく)まで、故郷(ふるさと)豊原(とよはら)在る(ある)会社(かいしゃ)特高圧(とくこうあつ)線分処(せんぶんどころ)勤めて(つとめて)いました。(わたし)技術組(ぎじゅつぐみ)機械係(きかいがかり)におり、十歳(じゅっさい)年上(としうえ)()さんは工務段(こうむだん)にいました。当()()さんは殆ど(ほとんど)鉄塔(てっとう)工事(こうじ)出張(しゅっちょう)出て(でて)いて、その出張先(しゅっちょうさき)移動(いどう)出張費(しゅっちょうひ)報告(ほうこく)は、すべて(わたし)代わって(かわって)やっていました。その(とき)手紙(てがみ)やり取り(やりとり)は、日本語(にほんご)勉強(べんきょう)するために、すべて日本語(にほんご)でした。()さんは常に(つねに)(わたし)書いた(かいた)日本語(にほんご)訂正(ていせい)して下さいました(くださいました)
中国語で言ふ「何々」は日本語では習慣的に「何々」と言ひます。
「の」は必要ありません。
ここは「何々」若しくは「何々」と訂正した方がよいと思ひます。
ここは「何々」と改めるべきです。
ここは「何々」または「何々」と換へるのが適当だと思ひます。
ここは「何々」と書くのが一般的です。
「何々」は「何々」といふ風に書くのが普通です。
それぞれ「何々」とあるのは各々「何々」が妥当です。
(アンダーライン(下線)は「旧日仮名遣い))
このように対面(たいめん)授業(じゅぎょう)ではなく、時空(じくう)隔てて(へだてて)先生(せんせい)でした。
    兵役(へいえき)終え(おえ)、基隆に在る(ある)深澳(ふかおき)火力(かりょく)発電所(はつでんしょ)奉職(ほうしょく)五年後(いねんご)辞めて(やめて)新竹(しんたけ)会社(かいしゃ)就職(しゅうしょく)新しい(あたらしい)会社(かいしゃ)ゼロ(ぜろ)からのスタートによる忙しさで、余さん(よさん)とは次第(しだい)疎遠(そえん)になりました。1995(1995)(ねん)定年(ていねん)退職(たいしょく)して、故郷(ふるさと)豊原(とよはら)帰って(かえって)きました。すぐさま、帰郷(ききょう)挨拶(あいさつ)をしました。まず第一(だいいち)()さんを探す(さがす)ことにしましたが、引っ越して(ひっこして)おり、近く(ちかく)(ひと)聞いて(きいて)引越し先(ひっこしさき)がわかりませんでした。(とく)高圧(こうあつ)線分処(せんぶんところ)へも聞き(きき)行った(いった)のですが、鉄塔(てっとう)工事(こうじ)終わって(おわって)から、すべて台北(たいぺい)本社(ほんしゃ)引き上げられた(ひきあげられた)とのこと。その(とき)からずっと音信(おんしん)不通(ふつう)となったので、探す(さがす)のを(あきら)めたのです。
   今年の旧正月(きゅうしょうがつ)年始(ねんし)挨拶(あいさつ)或る(ある)()のこと、友人(ゆうじん)(こう)さんのお宅(おたく)お茶(おちゃ)飲み(のみ)(さい)に、話題(わだい)(こう)さんの親戚(しんせき)女性(じょせい)が、元特(もととく)高圧(こうあつ)線分処(せんぶんところ)(しゅう)一回(いっかい)ボランティア(ぼらんてぃあ)として通って(かよって)いるという情報(じょうほう)があり、びっくりして、打診(だしん)依頼(いらい)お願い(おねがい)したのですが、やはり分からなかった(わからなかった)のです。この糸口(いとぐち)をなくさないようにせねばと思い(おもい)顔見知り(かおみしり)だけで、全く(まったく)付き合い(つきあい)のなかった工務段(こうむだん)(りゅう)(とく)基さ(もといさ)打診(だしん)してもらった、消息(しょうそく)分かりました(わかりました)(りゅう)さんは93(93)(さい)元気(げんき)でいら、養護(ようご)センター(せんたー)入って(はいって)いるそうです。
    早速(さっそく)擁護(ようご)センター(せんたー)行き(いき)、「(とく)高圧(こうあつ)線分処(せんぶんどころ)技術組(ぎじゅつぐみ)にいた(よう)(じゅん)(ぜん)です」と言って(いって)覚えて(おぼえて)いないので、技術組(ぎじゅつぐみ)(はり)(くみ)(ちょう)(あし)係長(かかりちょう)(しょう)技師(ぎし)名前(なまえ)挙げたら(あげたら)、すべて覚えて(おぼえて)いました。(わたし)元々(もともと)(りゅう)さんが(わたし)のことは知らない(しらない)だろうと覚悟(かくご)決めて(きめて)いたので、ガッカリ(がっかり)はしませんでした。重点(じゅうてん)は、余さん(よさん)のことを聞く(きく)ことでしたから、それを聞きました(ききました)
悲しく(かなしく)思います(おもいます)。かつての先生(せんせい)ですもの。残念(ざんねん)なことに、()さんは定年前(ていねんまえ)亡くなりました(なくなりました)とのこと、とても
93()(さい)(りゅう)さんは、歩き(あるき)(はなし)正常(せいじょう)元気(げんき)でいることに驚きました(おどろきました)。「こんなに元気(げんき)なのに、ここに入って(はいって)いるのは一体(いったい)なぜか」と聞いたら(きいたら)(りゅう)さんは「必要(ひつよう)(とき)家族(かぞく)必ず(かならず)しもいるわけではないし、ここなら、なんでもすぐやってくれるので、(いえ)にいるよりはいいわだ」と言う(いう)のです。このように自分(じぶん)境遇(きょうぐう)を考えて、改善(かいぜん)(さく)見つける(みつける)ことは「万人(ばんにん)幸福(こうふく)(しおり)」の第三条(だいみじょう)(うん)(めい)自ら(みずから)招き(まねき)境遇(きょうぐう)自ら(みずから)造る(つくる)並び(ならび)に「各人(かくじん)運命(うんめい)各人(かくじん)手中(しゅちゅう)にあり」に(けい)えられます。
最後(さいご)別れ(わかれ)(りゅう)さんに、もう一度(もういちど)名前(なまえ)聞かれた(きかれた)。「あ!そうだ、(よう)(じゅん)(ぜん)ですけど、その当時(とうじ)は、(よう)(じゅん)金だったんです」というと「ああー(よう)(じゅん)(ぜん)覚えてます(おぼえてます)よ。お互い(おたがい)老いた(おいた)から(かお)見分けられない(みわけられない)のだ」と言いました(いいました)
付き合い(つきあい)がなかったのに、覚えて(おぼえて)いてくれたのは、とても嬉しい(うれしい)です。これからも、たまには訪れよう(おとずれよう)思って(おもって)います。
ご静聴(ごせいちょう)ありがとうございました。)